『紅白歌合戦』の今後を考える!
幻となった『紅白歌合戦』の廃止
長い『紅白』の歴史の中で、真剣に廃止が検討されたのが1989年(昭和64年、平成元年)のことであった。この年の1月7日に昭和天皇が崩御され、時代は平成へと遷った。この年の4月にNHK会長に就任した島桂次(通称、シマゲジ)が、『紅白』の廃止の検討を命じたのだ。
1980年代に入ると、『紅白』の人気は急激な陰りを見せ始め、視聴率も50%台に急落していた。その年の9月、島会長は、「紅白歌合戦は今年で最後にしたいんだよ」と語ったという。
その1週間後、放送総局長の遠藤利男が、「今年は例年通り行いますが、紅白を上回る企画があれば来年からでも紅白をやめたい」と発言した。この言い回しは、明らかに“逃げ”である。これでは、「試聴率が50%を超えるよい企画が出ない限り紅白を続ける」、と言っているのと同じだ。
そういう中で迎えたのが第40回大会であった。開始時間が19時20分へと大幅に前倒しとなった。
19:20~20:55の前半を「昭和の紅白」、21:00以降の後半を「平成の紅白」という2部構成にしたのだ。「前半」は、正に昭和を代表する名だたる歌手の勢揃いである。前半のトリは、紅組が都はるみ(「アンコ椿は恋の花」)であり、白組は藤山一郎(「青い山脈」)である。
また、懐かしい「君の名は」(織井茂子)や「お富さん」(春日八郎(写真))が会場を盛り上げていた。
第40回以降はどうなったのか?案の定、『紅白』は廃止どころか、時間枠を拡大したままで69回の今日まで継続されることになる。これでは、まるで“焼け太り”である。
筆者の考えでは、この第40回で『紅白』の幕を一旦は閉じるのが正解だったと思う。
『紅白』は昭和の中で誕生し、昭和の中で“お化け”に成長した番組である。
振り返ってみると、昭和という時代は「家族」が中核に位置し、歌謡曲が全盛の時代であった。
一方、平成に入ると、核家族化が進行し、独り者が人口の多くを占めるようになっていく。
歌謡曲は衰退の一途をたどり、無国籍的な多様な曲が若者をとらえていく。
誰もが口ずさむことが出来るようなメガヒット曲など生まれる筈のない時代になっている。
実際、昨年の第69回の『紅白』に出場する歌手の名前は半分近くが英文やカタカナである。
よく知っている歌手が出ていても、歌うのは、“昔ヒットした”曲ばかりである。
家族でその年に流行った曲に耳を傾け、その年を振り返った時代は昭和で終わったのである。
『紅白』以上の企画が出るのを待つのではなく、平成最後の年をもって廃止の英断が求められる。
“チコちゃん”に叱られないためにも、また、“能なし”と言われないためにもそれしかない。