手紙などから見える秀吉と信長の実像
秀吉の風貌と人となり
ドラマの中では、豊臣秀吉は信長から、「サル、サル」などと呼び捨てにされている。
秀吉の風貌や体形は、中年時代を始め、関白に登り詰めた晩年のものなどを、その肖像画から伺うことが出来る。風貌はサルに似ていないこともないが、むしろ武骨で頑固そうであり、決して明るいキャラクターには見えない(写真)。体形は、やせ型で小男だったようだ。
一方、当時の肖像画には脚色が入っているのが普通であり、実際よりは良く描かれている。
それでは、実際の秀吉の風貌や体形、あるいは人となりは、どういうものであったのだろうか?
天正9年(1581年)6月頃の豊臣秀吉のことを報告している書状がある。
秀吉は44歳頃と推定されるが、毛利攻めのために播磨の国、姫路に出向いていた。
敵方である毛利家の家臣・玉木吉保が、秀吉の姿を実際に見た時の様子を自身の伝記の中で次のように述べている(「身自録」より)。「その時、始めて羽柴を見た。軽やかに馬に乗り、赤ひげで猿のような眼をしている。空ウソ(軽いジョーク?)を吹きまくっていた・・・・・」。
どうやら、小男ながら、軽快な身のこなしで、ジョークを連発するような男であったようである。
風貌がサルに似ているというよりも、特徴のある眼の持ち主であったようである。
大河ドラマでいえば、1965年の「太閤記」で秀吉を演じた緒形拳が最も実像に近いようだ。
この番組で、緒形拳は軽妙、洒脱で、よく動き回る秀吉像を演じていた。
この時の原作には吉川英治の『新書太閤記』が使われているが、さすがに吉川英治は秀吉の実像を掴んでいたようである。一方、この番組で主役に抜擢された緒形拳は、「新国劇にサルに似た奴がいる」、という噂を大河ドラマの制作スタッフが聞きつけての起用だったという。
緒形の演ずる秀吉は視聴者を魅了し、彼は一気にスターとしての名声を勝ち取っていく。
正に、「太閤記」を地で行くようなサクセスストリーである。この番組では、信長を演じた高橋幸治にも凄い人気が集まっていた。彼への助命嘆願が殺到したため、“本能寺の変”の回が延期されることになったという。大河ドラマもここまで来れば大成功である。
この番組の視聴率は31.2%であり、歴代6位という高さであった。ちなみに歴代トップは1987年の「独眼竜政宗」(主役:渡辺謙)であり、視聴率は39.7%に達していた。