手紙などから見える秀吉と信長の実像
秀吉の奥方“ねね”の実像
秀吉の奥方“ねね”も、大河ドラマでは色々に描かれている。こちらも実像は謎である。
そもそも“ねね”という名前自体が正しいかどうかが不明である。“おね”が正しいという説もある。
その“ねね”役であるが、1965年の「太閤記」(緒形拳が秀吉)では藤村志保が演じている。
楚々とした美形の奥方であり、緒形拳を裏からしっかり支える役柄を演じていた。
1981年のご存知の「おんな太閤記」(西田敏行が秀吉)では、佐久間良子が主役である。
しっかり者で美形、頭脳も明晰な“ねね”、というイメージを定着させた作品であった(写真)。
一方、1996年の「秀吉」(竹中直人が秀吉)では、“おね”役を沢口靖子が演じている。
“ねね”の呼び名が“おね”に変わっており、しっかり者ではあるが、ちょっと可愛い女房であった。
こう見てくると、秀吉の奥方は、美形でしっかり者であり、秀吉を縁の下から支えていたように見受ける。秀吉からすると、頼りにはなるが、少し頭が上がらない存在として描かれることが多いようだ。それでは、実際の“おね”(あるいは“ねね”)とはどんな奥方であったのだろうか?
実は、数少ない信長直筆の書状が残っている。藤吉郎と“おんなども”にあてた『織田信長朱印状』である。秀吉の浮気癖に困った“おね”が信長を訪問して不満をぶつけたことに対する手紙である。“おんなども”となっているが、“おね”に送った手紙であり、秀吉にも見せよ、と書いてある。
これを筆者なりの意訳で要旨を述べてみよう。「そなたは、以前に見たときよりも10が20になるほど綺麗になっている。藤吉郎は色々不満を述べているようだがとんでもない。そなたほどの者を嫁に迎えることなど、あの“ハゲねずみ”には難しいことだ。そなたも、これからは朗らかな気持ちで重々しく振舞い、嫉妬などを起こさないようにするがよい。・・・・・・・」
あの信長をしてここまで言わせているのである。やはり、かなりの美形であったようだ。
信長も“おね”を気にいっているようであり、聡明な女性であったと思われる。
ただ、結構嫉妬深かったようであり、秀吉も“おね”には頭が上がらなかったようである。
ましてや、厳しい上司・信長からの諫言である。しばらくは浮気も封じられたものと思われる。
一方、信長は秀吉のことを“ハゲねずみ”、と呼んでいる。“サル”ではないのだ。
信長はあだ名のつけ方が得意だったようであり、相手の風貌から瞬時に的確なあだ名をつけている。あの光秀は、“金柑(きんかん)”である。頭が金柑に似ていて、赤く光っていたからだ。