手紙などから見える秀吉と信長の実像

“鬼神”信長の実像

織田信長といえば、信頼をしていた荒木村重が謀反を起こした時には一族郎党を残酷な方法で皆殺しにしている。また、比叡山延暦寺を焼き討ちして、僧侶、学僧、上人、児童など数千人(推定、最大4千人)の首を刎ねたことで知られるほど酷薄・非道な人物と見られている。

その鬼神のような信長が、“おね”に対してはこれほど優しい手紙を出しているのである。
他の信長の手紙を見ると、特に、秀吉と光秀の二人は自慢の家臣だったようである。
重臣の地位にあった佐久間信盛をその地位から引きずりおろし、城外に放出した時には、秀吉、光秀の働きの見事さを強調する一方で、佐久間の無能ぶりをなじっている。

自分のお気に入りは徹底して持ち上げるが、無能な家臣には容赦はなかったようである。
その信長の実物に最も近いと思われる肖像画が残っている(写真)。

手紙などから見える秀吉と信長の実像

宣教師が描いた信長像(「下北の春のブログ」より)

この肖像画は、イエズス会に所属するイタリア人で画家でもある宣教師、ジョバンニ・ニコラオが描いたものである。画家であるだけに、本物の信長像を伝えているはずである。面長で端正な顔立ちである。正邪をはっきりさせる強い意志の持ち主であることが伺える風貌である。

同じイエズス会に所属するルイス・フロイスは、実際に立ち会った時の信長像を伝えている。
1992年の大河ドラマ「信長-KING OF ZIPANGU」(信長役:緒形直人)の中で、信長は城の造作中に通り過ぎた女をからかった雑兵の首を瞬時に刎ねている。衝撃的なシーンであった。

信長はこの雑兵のところへ脱兎のごとく駆け出しているが、この様子は、ルイス・フロイスが実見した様子を正確に再現したものであった。正邪の区別に厳しい信長の様子を伝える逸話である。一方、信長が現れるだけで、臣下一堂は一瞬にしてピリピリの状態になっていたとも伝えている。明智光秀の謀反の裏には、このような信長への反感や恐怖があったように思われる。

結論

手紙などから垣間見える歴史上の人物たちの実像は実に興味深い。
歴史上の人物たちも実は普通の人間であったという点ではホッとした気持ちになる。
一方、これらの実像を脚色し、面白く、ロマンあふれる物語にするのが大河ドラマである。
時代が現在に近付くほど、この脚色の余地が狭まってくる。
大河ドラマに現代ものを設定する場合の難しさである。頑張れ、NHK!

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