今年の8月15日
このところ数年は大学時代の友人と東京・九段の靖国神社にお詣りしてから神田の蕎麦屋(大概「まつや」)で好きな酒を一杯やりながら旧交を温めて来た。
確かに終戦記念日に靖国神社を訪ねるのは私の意識の中に潜む贖罪する心に従っていた。父から聞かされた話が胸に刺さったトゲのようだった。まだ独身だった早稲田大学の後輩が私の写真をもらったという。写真を抱いて戦場に散ったわけだ。
閑話休題。そうした方々の御霊に守られて生きている。英霊の眠る靖国神社で柏手を打つことに民族の誇りを持つ以上に意味があると思う。
たまたま鶴岡八幡宮の月次祭に参列が許された月次が8月15日だったというわけだが誰か一人同伴することができる。
鎌倉ガイド協会のガイドの一人でウォーキングで知遇を得た方と鎌倉駅で待ち合わせる。桜の木がまっすぐ伸びた段葛を進んで三の鳥居に到着する。神社の境内には灼熱の太陽が溢れていた。
大石段の脇では十年前に倒れた大銀杏の若芽がかなり大きくなっている。まさに東日本大震災前年に倒れたものだ。
上拝殿の袖にあたる入り口で手指を消毒して検温されてから中に入る。定刻の少し前に係員から儀式の流れの説明を受ける。太鼓の音が響いて拝殿に招じ入れられる。背もたれのない椅子が並んでいる。ソーシャルディスタンスを保つために一席ずつ空けて座る。
大石段の下から沓音が響いてくる。神官たちが上がって来たようだ。全員が起立して神殿に向かって一拝。神酒(みき)、御食(みけ)と言うが複数の神官が日本酒、米に水と塩、野菜、果物、魚、菓子と神前に供えて行く。神主により祝詞が奏上され二人の巫女(みこ)が舞を舞って辺りに爽やかな雰囲気が醸し出された。玉串を奉奠する神主に従って立ち上がり、二礼二拍手一礼で儀式が終わりを迎える。神官が退去すると張り詰めた空気がほどける。真夏の一日が私の心に静かな余裕を育てていた。