源実朝没後800年

平成が終わる今年(2019年)は悲劇の宰相・源実朝の没後800年に当たるという。鎌倉国宝館の特別展「源実朝とその時代」(2月3日まで)で急に身近に感じられた。

源頼朝と政子の間には頼家、実朝の男子と大姫、乙姫の女児があった。源頼家は17歳、源実朝は12歳で征夷大将軍に任じられたが、乱世とは言え4人とも薄幸な人生を送っている。

源実朝没後800年記念であり鎌倉市制施行80周年記念でもある「源実朝とその時代」では甲府市・善光寺「源実朝座像」を初めとする実朝の肖像作品を初め、信仰や芸術に関する資料などを一堂に展観すると唱われている。展覧会日程は命日に当たる1月27日を含むという企画でもある。

ところで鎌倉市内には源頼朝一家を偲ばせる場所がある。御成町に長男・頼家の名が刻まれた「問注所跡」の歴史碑がある。妙本寺には頼家の子どもである一幡の「袖塚」があり、近年倒壊した鶴岡八幡宮の大銀杏は公暁の隠れ銀杏として名高い。

大船の「常楽寺」裏山に大姫の許婚者(いいなづけ)木曽義高の碑があり、扇が谷の「岩船地蔵堂」は悲しみのうちに亡くなった大姫を今も慰めている。また鶴岡八幡宮の東側の畠山重忠邸跡の歴史碑には乙姫(三幡)の名が刻まれている。
境内の「白旗神社」の祭神は源頼朝と実朝であり頼家の名はない。10月28日は文芸に秀でた源実朝を祀る「文墨祭」であり、鎌倉国宝館の庭には金塊和歌集「山は裂け海は浅せなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも」の歌碑がある。

神奈川県秦野市には「源実朝公首塚」があり11月23日には「実朝まつり」が盛大に行われている。公暁の討った源実朝の首は鎌倉市植木の龍寶寺を通り秦野の波多野氏のもとに届けられたという。秦野市・金剛寺で発見された木造五輪塔が国宝館に展示された。

源実朝没後800年

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