上総一ノ宮へ!
空手道の演武会に招待されて上総一ノ宮に出かけた。梅雨真っ盛り6月末のことだ。
10時前の横須賀線に乗り千葉駅で降りる。総武線との直通になってからは両国駅は通らないが一昔前までは両国が千葉の玄関口だった。蘇我まで進んで房総東線である。
小雨の降る穀倉地帯の中を列車が進む。九十九里浜まで真っ直ぐ行くと海沿いに安房鴨川まで行くのが房総東線だ。私が下車した駅「上総一ノ宮」はホームの端にエレベーターのある近代的な雰囲気だ。駅前の食堂はラーメンしかないような寂れた様子だ。メニューの中から「ねぎチャーシュー丼」を選ぶ。意外に美味である。
約70年ほど前に私は千葉県南部の千歳小学校に転校した。蘇我駅からは房総西線に乗り南三原という駅で下車して古川沿いに下がった寒村だった。現在では廃校になっているが九州から移り住んだ家から4キロの隣村にあった。
翌年になって館山市の北条小学校に転校して社会科の授業で千葉県の地理を勉強した記憶がある。館山市の他には千葉、松戸、木更津、野田、銚子市があり、茂原が最近市になったと聞いた。市町村に加えて「郡」があり安房郡の他に山武郡、長生郡等の地名を記憶している。
それから幾星霜が過ぎ還暦の頃から古い地図が気になるようになった。古東海道という概念があり京都から東に進むと箱根を過ぎて鎌倉の裏山を通り海を渡って千葉県に入るのが正規のルートだという。安房(あわ)の北側が上総(かずさ)で更に北が下総(しもうさ)である。
つまり当時は上総の方が都に近く次が下総という概念だった。上総一ノ宮は上総の国を司る場所だということになる。上総と安房の関係は歴史的にも確執があったようだ。房総半島の穀倉地帯の緑がそれを裏付けているような気がする。
駅から歩いて行ける場所に「玉前(たまさき)神社」がある。上総の地域の一ノ宮であるが明治維新以降、近隣の社殿を統合して祀っているようだ。
官幣中社の柱に沿って進むと玉前神社入口の信号である。赤い鳥居の向こうに6月末の「大祓え式」に備えた茅の輪が設えてある。数段の石段を上がると出水場の先が荘厳な雰囲気の本殿である。裏側には塚があら周りの玉砂利を踏んで歩く趣向のようだ。
九十九里浜はサーフィンのメッカで7月13日に一宮海水浴場で「1年前イベント一宮町にオリンピックがやってくる!」が開催される。同じ日に南九十九里で「はまぐり祭り」も開催されるようで上総一ノ宮は一気に賑やかな場所になるようだ。